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坂本養川は、1736年に田沢村(今の茅野市宮川)で生まれました。若い頃、田沢村の名主をしていた時、水不足により、新田つぶしをせざるを得なかった経験から、堰をつくる決心をしたといわれています。
当時、このあたりの川は、水が少なく、上流でたくさんの畑を田に変えてしまうと下流にある田の水が不足しました。人々の生活は苦しく、水争いが何度もおこり、新田をつぶすこともありました。
水を引きたいという村人たちの願いを実現するため、養川は努力を重ね、堰をつくりました。
茅野市公民館では、坂本養川が江戸時代に献策した堰(養川堰)について研究し、統一的に解説した資料を作成・活用することを通して、地域の資源である養川堰に関する理解の促進を図り、養川堰の保存に役立てることを目的に、諏訪市公民館、富士見町公民館、原村中央公民館と一緒に令和2年3月に坂本養川堰研究会を発足しました。
この養川堰研究会では、4市町村にわたり養川が献策した15か所の堰について、すべて網羅したマップを作成しました。
マップは、小学4年生の学習教材として活用するほか、生涯学習分野でも活用していきます。
※作成したマップはA1サイズ(A4サイズ8ページの折り畳み式)です。マップは茅野市中央公民館窓口で無料配布しています。