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八ヶ嶽岳麓文芸館(やつがたけがくろくぶんげいかん)は、八ヶ岳総合博物館内の一室を展示スペースとして、諏訪地方ゆかりの歌人、俳人の作品を展示しています。
令和6年11月16日(土曜日)~
茅野市文化財指定「蓼科山歌」掛軸、島木赤彦直筆の六曲半双屏風の他、茅野市の歌人、篠原志都児(しづこ)宛てのアララギ派の歌人たちの直筆はがきを展示します。
故北澤敏郎先生(前八ヶ岳総合博物館専門委員(文芸))
大正4年(赤彦40歳)の暑中、高木の家にて竹内泰比呂氏の為に唐紙に歌を書く。歌は新刊の歌集『切火』の中から芒の歌と椿の歌を、10枚の全紙に書かれた。赤彦は「大分大きいな、こんな大きい字は書初めの書終りかも知れないよ。」と言われたという。うち5枚は竹内氏に、1枚は久保田健次氏に。
昭和8年7月、竹内氏の5枚は、今井平左衛門氏に渡り、同夫人野菊さんが所蔵する。屏風は1枚ずつに5面、残る1面は白地である。
屏風の価値については、日本中にこれ程の大物は無い。字も赤彦の最も油の乗り切った時ですばらしい。
野菊さんは、諏訪高女に入学してアララギに入会し赤彦・森山汀川に師事する。『少林集』『行雲』の歌集がある。また茶道華道の師匠、後に郷土史の研究もする。
今回御子息の久榮氏が茅野市に寄贈されたものである。
船を出でし心現(うつつ)なし真青なる芒の中に入りにけるかも
いとどしく青み静もる芒の中一人ぽつつり行きとどまらず
青々し芒の中に一匹の牛を追ひ越しはろかなる道
島すすきい行き寂しむ身ひとりのうしろに大き海光り見ゆ
芒の島あが乗りて来し一つ船けぶりを吐きて去るにかあるらし
島木赤彦