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八ヶ嶽岳麓文芸館(やつがたけがくろくぶんげいかん)は、八ヶ岳総合博物館内の一室を展示スペースとして、諏訪地方ゆかりの歌人、俳人の作品を展示しています。
(時期によって、展示内容が異なります。)
岩波其残(いわなみ きざん)の屏風、俳句短冊、版本の他、茅野市ゆかりの歌人、島木赤彦をはじめとするアララギ派の歌人たちの短歌短冊、直筆はがき等を展示します。
諏訪の俳人、岩波其残によって描かれた農耕図。米作の一年間の様子を、六曲一双屏風(上下巻一対)に描いたもの。今回の展示品は上巻であり、春から初夏までの農作業の風景と、時季に合う句が記されている。
茅野市出身の歌人、篠原志都児(しのはら しずこ)に宛てられたはがき。差出人は、師である伊藤左千夫、歌友の島木赤彦、日本画家の平福百穂など、さまざまな分野の著名人が名を連ねている。今回は、絵はがきを中心に公開。
茅野市文化財指定「蓼科山歌」掛軸、島木赤彦直筆の六曲半双屏風の他、茅野市の歌人、篠原志都児宛てのアララギ派の歌人たちの直筆はがきを展示します。
故北澤敏郎先生(前八ヶ岳総合博物館専門委員(文芸))
大正4年(赤彦40歳)の暑中、高木の家にて竹内泰比呂氏の為に唐紙に歌を書く。歌は新刊の歌集『切火』の中から芒の歌と椿の歌を、10枚の全紙に書かれた。赤彦は「大分大きいな、こんな大きい字は書初めの書終りかも知れないよ。」と言われたという。うち5枚は竹内氏に、1枚は久保田健次氏に。
昭和8年7月、竹内氏の5枚は、今井平左衛門氏に渡り、同夫人野菊さんが所蔵する。屏風は1枚ずつに5面、残る1面は白地である。
屏風の価値については、日本中にこれ程の大物は無い。字も赤彦の最も油の乗り切った時ですばらしい。
野菊さんは、諏訪高女に入学してアララギに入会し赤彦・森山汀川に師事する。『少林集』『行雲』の歌集がある。また茶道華道の師匠、後に郷土史の研究もする。
今回御子息の久榮氏が茅野市に寄贈されたものである。
船を出でし心現(うつつ)なし真青なる芒の中に入りにけるかも
いとどしく青み静もる芒の中一人ぽつつり行きとどまらず
青々し芒の中に一匹の牛を追ひ越しはろかなる道
島すすきい行き寂しむ身ひとりのうしろに大き海光り見ゆ
芒の島あが乗りて来し一つ船けぶりを吐きて去るにかあるらし
島木赤彦