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「仮面の女神」が国宝指定10周年を迎えました。「縄文のビーナス」に続き、茅野市の2件目の国宝となった「仮面の女神」。美しい造形で国内外の人々を魅了してきた10年の歩みを振り返ります。
「仮面の女神」は、平成12年(2000年)8月23日、造成工事に先立つ発掘調査によって、茅野市湖東地区の中ッ原遺跡から出土しました。
土偶の右足が壊れている状態で出土しましたが、右足の破片の一部は、空洞になっている土偶の体内から発見されました。
出土当時から、大きな話題となり、出土した状態を見学する現地公開には、全国から4,000人が訪れました。
「仮面の女神」は、高さ34センチメートル、重さ2・7キログラムで、内部が空洞になっている中空土偶です。公募で決まった愛称「仮面の女神」の通り、逆三角形の仮面を付けた顔と、太くどっしりした足の表現が特徴的です。体に付けられた模様は、衣服なのか刺青なのか、現在も議論が続けられています。
「仮面の女神」が作られたのは、今から約4,000年前の縄文時代後期。この時代は、気温の低下に伴い、茅野市内の遺跡が減少し、衰退期を迎えています。苦しい時代を乗り越え、集落再興のため、仮面を付けた土偶に祈りを捧げたと考えられています。
「仮面の女神」が出土した周りの土坑からは8点の土器が見つかっています。鉢のような形をした8点の土器は、亡くなった人の顔に被せて埋葬する「鉢被せ葬」に使われたと考えられています。
「仮面の女神」が出土した土坑もお墓だったことが判明し、「仮面の女神」に副葬品としての役割があったと考えられています。
全国で数多くの縄文時代の遺物が発見されていますが、国宝に指定されているのは、「仮面の女神」をはじめ「縄文のビーナス」などの土偶5体と「火焔型土器」を合わせた6件のみです。これらの土偶や土器には、それぞれ国宝にふさわしい指定理由が存在しています。「仮面の女神」は、作りが煩雑であったり、小型なものが大半の土偶の中で、高さ34センチメートルと大型で、全てのパーツがそろって出土していること。調査の様子から復元に至るまで、詳細な映像記録が残されていること。お墓から出土する土偶は全国的にも珍しく当時の葬送儀礼を解き明かす上で重要な資料であること。土偶の表面が丁寧に磨き上げられており、妊婦を表すお腹や体につけられた文様などが造形的に優れていること。などの理由から平成26年(2014年)8月21日に国宝に指定されました。「仮面の女神」が出土した周りの土坑から発見された8点の土器は、「仮面の女神」と同様に、当時の葬送儀礼を解き明かす重要な資料として国宝の附に指定され、「仮面の女神」とあわせて1件の国宝として指定を受けています。
「仮面の女神」は、多くの企画展に展示され、美しい造形で多くの人々を魅了してきました。平成21年⦅2009年⦆には、イギリスの大英博物館で行われた日本の土偶を紹介する企画展『THEPOWER OF DOGU』に出展し、国宝指定前ながら、図録の表紙に採用されるなど、造形は国外でも高く評価されています。
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