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茅野市名誉市民のご紹介

宮坂英弌(みやさかふさかず)

宮坂英弌氏の画像 

明治20年3月4日~昭和50年6月11日。

特別史跡尖石をはじめ、長年に渡って埋蔵文化財の発掘や保護に情熱を注がれた。

昭和25年に蒼綬褒章、昭和41年に勲四等瑞宝章、昭和49年に吉川英治文化賞。

昭和50年には生前の功績に対して従五位勲四等旭日小綬章が贈られた。

著書、論文も多数あり、中でも『尖石』(茅野町教育委員会刊)、『渋川』(尖石考古館刊)、『蓼科』(同)が著名。
昭和42年1月1日、茅野市で初となる名誉市民の称号が贈られた。

関連情報

尖石縄文考古館トップページ

矢崎虎夫(やざきとらお)

矢崎虎夫氏の画像

明治37年7月25日~昭和63年9月24日。

芸術活動一筋の人生を歩まれ、日本彫刻界の巨匠として国内外に認められるとともに、市の芸術文化の向上にも多大な貢献をされた。

昭和56年までの間に5回に渡る紺綬褒章と、昭和57年に勳四等瑞宝章が贈られ、同年12月には名誉市民の称号が贈られた。

氏の作品は、パリ・バリセンヌ公園の「雲水郡像」、国立近代美術館の「托鉢像」、第33回国民体育大会のモニュメント「やまびこ郡像」、尖石縄文考古館の「縄文の手」など多数あるほか、茅野市の蓼科高原美術館にも数多く展示されている。

関連情報

蓼科高原美術館<外部リンク>

小平邦彦(こだいらくにひこ)

小平邦彦氏の画像 

大正4年3月16日~平成9年7月26日。

昭和13年に東京大学理学部数学科、16年に同物理学科を卒業、助教授時代を経た後、渡米し、大学教授として活躍。

帰国後も東京大学、学習院大学で理学部教授を歴任。

数学のノーベル賞といわれるフィールズ賞のほか藤原賞、ウルフ賞などの世界的に著名な賞を数々受賞。

昭和62年に勳一等瑞宝章が贈られ、昭和63年には名誉市民の称号が贈られた。

その後も東京大学名誉教授、日本学士院会員などの要職に就き活躍された。

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