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【祝・二十歳】二十歳のみなさんへインタビュー、代表挨拶

ページID:0066879 更新日:2025年1月24日更新 印刷ページ表示

二十歳の式典 代表者挨拶

二十歳を迎えられたみなさん、おめでとうございます

令和7年1月12日(日曜日)、令和7年茅野市二十歳の式典が茅野市民館マルチホールで行われました。

旧友との久しぶりの再会を喜び、懐かしい思い出話しに花が咲く様子が会場の各所で見られました。

二十歳を迎えられたみなさん、茅野市で過ごした日々を胸に、大人としての責任や自覚を持ち、将来の夢に向かってこれからも頑張ってください。茅野市から応援しています。

二十歳を迎えられたみなさん

対象:平成16年4月2日から平成17年4月1日

該当者数:711名

突撃!二十歳を迎えられたみなさんへインタビュー

二十歳を迎えられたみなさんに、二十歳を迎えての抱負や茅野市のいいところを伺いました。

再生時間:約18分

代表挨拶

安江 昴 さん

安江 昴さん

今日、この佳き日に二十歳の式典を迎えられたことを大変うれしく思います。

このように厳かで盛大な式典を開催していただき、誠にありがとうございます。今井市長をはじめ、皆様からの温かいお祝いと激励の言葉をいただき、二十歳としての喜びを噛み締めると同時に、今後の責任の重大さを痛感しております。皆様から頂いた意義ある教訓を胸に社会人としての自覚と責任を持ち、名実ともに大人と認められるよう精進していきたいと思います。

振り返れば、友人との人間関係や進路の選択、コロナウイルスに悩まされた高校時代など、たくさんの喜びや悲しみ、葛藤があり、そのなかでの多くの人との出会いや経験が生きる力となり、今の自分を創ってきたのだとあらためて感じています。

私が茅野市の魅力だと感じる所は、人々が一致団結し心をひとつに熱く燃える、七年に一度の御柱祭です。若い衆が集い、持てる力を合わせて、出し切って、1200年を超える歴史の重みをつないできました。コンピュータとインターネットで時代がどのように変わったとしても、この御柱祭を将来に向けて受け継いでいくのは、ほかでもない、茅野に生を受けた私たちの使命です。

私はこの20年を生きてきた中で感銘を受け、これからも大切にしていきたいと強く感じている言葉があります。それは「剛毅朴訥は仁に近し」という言葉です。「剛」は、欲に溺れないこと。「毅」は世間の評価に動じないこと。「朴」はありのまま素直に生きること。「訥」は人を中傷したり、苦しめる発言をしないことという意味です。この言葉は二十歳になる私たちにとって素晴らしい言葉であると思います。

私は高校を卒業して、陸上自衛官として今日まで日本の平和を願い、厳しい訓練に励んできました。練磨無限、努力を続けることで、様々な目標をクリアしてきました。また、後輩隊員に助言したり、先輩隊員からの信頼も得られるようになりました。とてもやりがいを感じております。皆さんも努力することを欠かさないで目標に向かってください。目標に向かって何かを成し遂げる際、その努力が自分を助けてくれるはずです。

私達が、本日この二十歳の節目を迎えることが出来ましたのも、ひとえに私たちを見守り、ここまで育ててくれた両親を始め、今まで生きてきた中で出会った全ての方々のおかげだと思っています。特に、今日会場にも臨席しております母や祖父にはこの20年間、温かく、時には厳しく育てていただき、本当に感謝しております。

結びになりますが、今後私は、責任の重要性を深く認識し、いかなることにも努力を惜しまず、揺るがない心をもつことをここに誓い、一社会人として一生懸命精進努力していくことを皆様方にお約束をして、二十歳代表の言葉とさせていただきます。

浜 大智 さん(浜:正しくは、まゆはま)

濵 大智さん

本日は、私たちのためにこのような盛大な式典を開催して頂き、誠にありがとうございます。今井市長をはじめ、多数の御来賓の方々にご臨席いただき、皆様からのお祝いや激励の言葉を頂きまして、新成人を代表して心より御礼申し上げます。

これまでの人生を振り返り、私たちの世代を印象付けるものは、やはり新型コロナウイルスの流行であったと思います。中学校を卒業する直前に流行が始まり、私たちのいわゆる「普通」の高校生活は奪われました。入学してすぐに休校となり、新しい友達を作れないことへの不安、学校行事の規模の縮小や中止など、先が見えないことに対して行き場のない憤りを感じたことを覚えています。やっと学校が再開しても度重なる授業の短縮や休校など、私の描いた高校生活とはかけ離れていたものでした。そんな中でも私たちは前に進み続け、今日この日に、20年前に茅野市に生を受けた我々が二十歳の節目を迎えることが出来ました。

私はこのような高校生活を過ごしていく中で1つの夢を見つけました。それは高校の理科教員になるという夢です。私の高校生活は、コロナ禍による制限はあっても、学業面でも生活面でもとても充実したものであり、未来の生徒たちにもそのような充実した高校生活を送ってほしいと思ったからです。その夢を叶えるべく、私は必死で勉強し、現在は横浜国立大学にて教員になるべく日々学んでいます。

現在は茅野という地を離れていますが、だからこそ、この茅野という街の魅力に多く気付くことが出来ました。澄んだ空気や人の温かさをはじめとして、今のような冬には雪化粧をした八ヶ岳が望めるように、季節ごとに豊かな景色で彩られているこの街で当たり前のように育ってこられたことを感謝するとともに、誇らしい気持ちを覚えます。

私の両親はこれまでの20年間、茅野市から離れることなく温かい愛情で育ててくれました。私は不器用であまり感謝を伝えられませんが、この両親のもとに生まれることが出来て心からよかったと思っています。

私たちの世代は激動の世代、教育やビジネスの言葉では「VUCAの時代」と言われます。これは変化が激しく予測が困難な時代であることを示しています。ネットやスマートフォンの普及により、茅野と横浜であっても、すぐにSNSで連絡を取れるようにはなりました。その反面、人を簡単に傷つけたり、すれちがいが生まれてしまうようにもなりました。世の中は情報であふれ、このような時代を生きていくことには不安もありますが、まだまだ20歳と、私たちは何者にもなれる可能性を秘めていると思います。だからこそ、自分の思い描いた自分になれるよう、努力を続けることが大切であると考えます。

最後になりますが、この茅野市で育ったことを誇りに思い、成人としての覚悟と責任をもって日々邁進することを誓い、代表のあいさつとさせていただきます。