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金沢工業団地のところにあった遺跡 阿久尻遺跡

市内の金沢工業団地にお勤めの方も多いかと思います。実は、その金沢工業団地のところにも遺跡があります。それが阿久尻(あきゅうじり)遺跡です。

空から見た阿久尻(あきゅうじり)遺跡(平成2年)の写真
空から見た阿久尻(あきゅうじり)遺跡。平成2年(1990年)の写真。

阿久尻遺跡は、原村にある国史跡阿久(あきゅう)遺跡とわずか300メートルしか離れていない場所で、はじめは遺跡がつながる可能性も想定して調査をはじめましたが、この300メートルの間には何もないことがわかり、別の遺跡としています。

別方向から見た阿久尻(あきゅうじり)遺跡(平成2年)の写真
上の写真とは反対方向から見たところ。真ん中を横断して走るのが中央自動車道。

阿久尻遺跡に人が住んでいたのはいつごろか?

阿久尻遺跡では、縄文時代前期前半(6000年くらい前、近年の年代測定の結果に基づいて、私たちが使っているカレンダーに換算した場合には6700年から6450年前)の竪穴住居がもっとも多く見つかっています。四角形、角の丸くなった四角形、円形などさまざまな形をした竪穴住居が31あり、それよりも古い縄文時代早期の竪穴住居が1、中期が7、平安時代の住居が1、見つかっています。
縄文時代の前期前半は、八ヶ岳山麓はまだ遺跡数がそれほど多くなく、遺跡数が飛び抜けて多い中期に比べるとわずか20分の1程度です。そのなかの数少ない集落遺跡のひとつがこの阿久尻遺跡です。

阿久尻遺跡の縄文時代前期前半の土器の画像阿久尻遺跡の縄文時代前期前半の土器の画像2枚目

阿久尻遺跡から出土した縄文時代前期前半の土器です。底が尖っている形をしていることがまず目に付く特徴です。現代の私達からするとひどく使いづらそうです。煮炊きに使った可能性が高いのですが、それにしても「粘土成形→乾燥→焼成→使用」という流れの中で、この不安定な形のせいで不測の事故が起き、壊れてしまったものはどれだけあるのでしょうか…。

謎の施設

また、竪穴住居以外に、大人一人がすっぽり入るくらいの穴が数個、正方形や長方形に並ぶ謎の施設(考古学では「方形柱列」とか「方形柱穴列」と呼ぶ)が20か所あり、この遺跡の大きな特徴になっています。この「謎の施設」は、いつごろに作られたものかということさえはっきりしないのですが、縄文時代前期前半の竪穴住居とセットになっていたと考えると、遺跡内の施設の配置がしっくりくるので、縄文時代前期前半のものと考えています。

阿久尻遺跡の「謎の施設」の写真阿久尻遺跡の「謎の施設」の写真2枚目
セットになる「柱を立てた穴」の数に違いがあり、それによって正方形や長方形の一辺の長さにも違いがあります。つまり、これを「謎の施設」だと考えたら、それらの床の広さにも様々な違いがあった、ということになります。

この「謎の施設」が高床式の建築物ではないかという説もあります。確かに、大人一人ほどもある太さの丸太状の木をしっかり立てられるだけの深さを持つ穴もありますから、高床式の建築物の柱だという説は魅力的な仮説の一つです。今のところ、長野県東部~山梨県西部(北杜市)でしか見つかっていない、ということも手掛かりになるかもしれません。

地震があった

縄文時代の遺跡の調査では、土器や石器が出土するのはもちろんですが、ローム層(赤土)が全体に露出するまで発掘することで、竪穴住居やお墓の穴の有無を確認できます。ローム層を掘り込んで作られた竪穴住居等には黒い土がたまって、発掘するときには円形や四角形の「しみ」のように見えるからです。
阿久尻遺跡では、こうした竪穴住居等のほかに、帯状というか線状というか、明らかに竪穴住居等の施設とは異なる「しみ」が見つかりました。調査の結果、それらは地震でできたひびに黒い土がたまってできたものだとわかりました。

阿久尻遺跡の「地割れ」の写真
阿久尻遺跡の「地割れ」=地震でできたひび

黒い筋のようなものが地震でできたひびです(下の写真は、なかでもはっきりしているひびの両側を白い点線で示しています)。

阿久尻遺跡の「地割れ」の跡が謎の施設にも及んでいることがわかる写真阿久尻遺跡の「地割れ」の跡が謎の施設にも及んでいることがわかる写真2枚目

このひびは、「謎の施設」とも重なっています(「謎の施設」のひとつを横断するようにひびが見えます。その両側を青い点線で示しました)。「謎の施設」の柱穴の断面を観察すると、地震は、この「謎の施設」が建設された後に起きていることがわかりました。

阿久尻遺跡の「地割れ」の跡がわかる写真阿久尻遺跡の「地割れ」の跡がわかる写真2枚目

ひびを断面で見るとこのようになっています。ローム層中深くまで、雷のようにひびがおよんでいるのが見えると思います。ひびを埋めていた黒土の中に、年代を決める手掛かりがないかどうか調べたところ、南九州で約6300年前(カレンダー換算では約7300年前)に降った鬼界アカホヤ火山灰は含まれていないことがわかりました。このため、このひびは鬼界アカホヤ火山灰が降り積もる前にできて黒い土が詰まった、ということになります。

ということになると、阿久尻遺跡の集落を構成していたと考えている「謎の施設」が先に作られて、そして地震が起きてひびができたことがわかったと記しましたが、年代では「謎の施設」の年代=6700~6450年前であるのに対して、地震の年代が約7300年前に降り積もった火山灰よりも古い、ということになってしまい、おかしな話になってしまいます。
「謎の施設」だけ、作られた年代を古くして考える必要があるかもしれません。

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