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縄文時代の人々の苦労がしのばれるヒスイ

考古館に訪れてくださったお客様から、年に1回は必ず尋ねられることがあります。それは、「金属もないのにどうやってヒスイにこんなきれいな孔(あな)をあけられたのか?」ということです。

立石遺跡出土のヒスイ立石遺跡のヒスイの出土のようす

立石(たていし)遺跡から出土したヒスイ。ひとつのお墓に3つまとめて入っていました。そのお墓に重なるようにもう一つのお墓が作られ、そのお墓にも1点ヒスイが入っていました。

確かに、金属製のドリルもない縄文時代の遺物なのに、硬そうなヒスイにきれいな孔がきちんとあけられています。実験研究では、石英を含む砂と竹でヒスイに孔をあけることができることが確かめられています。
けれども、なかにはよく見ると縄文人の苦労がしのばれるヒスイもあります。今回はそんなヒスイをご紹介します。

長峯(ながみね)遺跡から出土したヒスイ

長峯遺跡出土のヒスイ_その1 (青い線は約5センチメートルです)

長さ5センチメートル、幅3センチメートル、厚さ1センチメートルほどの大珠(たいしゅ、ペンダントヘッドです)で、淡い緑色が鮮やかなヒスイ製です。孔もきれいにあいています。
でも、よく見ると孔の上に途中まで孔あけ作業をした痕跡が見えます。お椀のようにへこんだ痕です。もう少しよく見ると、あいている孔とこのお椀状のへこみとの間に、別のわずかなへこみも確認できます。つまり、2度の孔あけ作業をしたけれども、どういうわけか3度目の正直で今の孔があけられた、ということになります。

長峯遺跡出土のヒスイその1長峯遺跡出土のヒスイその1(あきかけの孔)

あけられた孔の周囲がざらついてへこんでいるものもあります。砂と竹で孔をあけたと紹介しましたが、あいている孔の周囲に、孔の位置が確定するまで地道に作業をした名残かもしれません。

長峯遺跡出土のヒスイ_その2長峯遺跡出土のヒスイその2(裏面)

左の(上の)写真では穴の周囲はなんてことはありません。ところが裏返してみると(右または下の写真)、孔の周囲がざらついてへこんでいます。写真では点線で囲った範囲です(青い直線は約5センチメートルです)。

聖石(ひじりいし)遺跡から出土したヒスイ

長峯遺跡の隣に、長峯遺跡からニュータウンとして開拓されたかもしれない遺跡があります。聖石遺跡と呼んでいます。破損した磨製石斧の破片が、この二つの遺跡のあいだで接合することがわかっており、互いにかなり密接な関係にあった遺跡です。
そんな聖石遺跡にもヒスイの大珠が見つかっていますが、長峯遺跡と同じく途中まであけようと試みた孔が残っているヒスイがあります。

聖石遺跡出土のヒスイ (青い線は約5センチメートルです)

長さ6.5センチメートル、幅3センチメートル、厚さ1センチメートル弱の、立派な大珠です。上半分の白と下半分の緑が目に鮮やかです。
きれいに孔があいていますが、この孔の左下のところをよく見ると、二重丸の孔の痕があります。いつもよりも作業が進まず孔の位置を変えたのでしょうか?
二重丸のような痕なので、長峯遺跡の資料とは違った道具を使ったこともわかります。個人個人で「絶対にこれじゃないといけない」とか「どちらかといえばこっちのほうが好みだな」という道具の好き嫌いもあったに違いありません。

聖石遺跡出土のヒスイその1聖石遺跡出土のヒスイその1(あきかけの孔)

同じような資料は豊平の塩之目尻(しおのめじり)遺跡などからも出土しています。なかには小さいヒスイのどこに孔をあけるか、あれこれ悩んだのでは、と思わせるものもあります。
ヒスイの大珠をみると、多くのお客様が「きれいねぇ」と嘆息されますが、きれいに見えるまで仕上げるのに苦労した縄文人を、上で紹介したあきかけの孔やざらついたへこみからしのんでみてほしいと思います。

茅野市内出土のヒスイ

下から光を当ててみると、あざやかな緑色で見映えします。

ちなみに、ヒスイの産地である新潟県糸魚川周辺に、ヒスイの大珠作りを集中的におこなっていた遺跡があることがわかっています。ここで紹介した長峯遺跡や聖石遺跡のヒスイもそこで作られ完成したものが運ばれてきたのだと思いますが、比較的若手の製作者がベテランの製作者に「まーた孔が真ん中からずれてるじゃねーか! 場所変えてやり直せ!」などと、厳しい指導を受けながら完成させたものかもしれません。

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