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下手な土器

下手な土器

博物館で展示されている縄文土器のほとんどは、各館が収蔵するたくさんの資料のなかから展示するに値するものを選んでいると言ってよいと思います。当館では、ほぼ完全な形が復元できている土器や完成度の高い土器のほか、八ヶ岳のふもとの地域では珍しい土器(例えば、出土数が少ない土器や異なる地域で流行していた土器など)を選んで展示しています。
展示している土器以外にも、もちろんたくさんの土器があります。元の形に復元できたもの、接合しない破片のものなど、さまざまです。

そうした土器のなかには、一見して「下手な土器」と言いたくなるものがあります。主観的な言い方でしかも失礼な表現なのですが、どうしてもそう言いたくなる土器で、現在、当館の一角に「下手な土器」としてまとめて展示しています。

その「下手な土器」は、下の写真のような土器です。

縄文時代の下手な土器の画像

高さは10センチメートル前後で、土器としてはけっこう小さく感じます。この写真にあるものは一例で、茅野市内出土資料だけでもこのような土器はまだまだあります。

なぜ、「下手な土器」があるのか?

なぜ、このような「下手な土器」があるのか。「下手な縄文土器」(守矢昌文2012年、『茅野市尖石縄文考古館開館10周年記念論文集』所収)での指摘をもとにして、ちょっと考えてみたいと思います。

一般的な土器のサイズに比べると、この「下手な土器」は、小さいことに加えて焼きが甘いというか、焼きしまっていないような状態のものが多いことが特徴だと指摘しています。このことから、例えば

  1. 次に作る土器のドラフトな試作品
  2. これまでと違うところで採取してきた粘土を使った試作品
  3. 小さいので実用品としてではなく適当に作ったもの

というような可能性があるかもしれません。

この3つのうちでは、3番目の可能性が一番低いのではないかと思います。下の写真を見れば、それも納得していただけると思います。

下手な土器と同じ大きさの精巧な土器の集合写真

同じような大きさの土器であっても、2列目の一番左と中央の土器は丁寧に作られており、焼き上がりもしっかりしています。加えて、中央の土器には縦に生じたひびの両側に「補修孔」を作ろうとした痕跡まであります。このことから、小さいので適当に作ったということは必ずしも当てはまらないことになります。

次に作る土器の試作品や新しい粘土を使った試作品という可能性は残りますが、それでも、ちゃんと作って焼き上げるほうが「試作する」意味合いとしては完徹するように思います。

「下手な土器」は土器作りを学んでいる世代が作ったものかもしれない

「下手な縄文土器」ではさらに以下のような特徴もあると指摘しています。

  1. 技術的には未熟である。
  2. 文様の描き方に、一般的な土器に見られる共通したやり方が見られない。

このことから、土器作りを学んでいる途上で作られたものである可能性が考えられると述べています。そして、こうした土器が土器作りの集落であることが判明した東京都多摩ニュータウンNo.245遺跡でも「規範を逸脱した土器」として報告されていることも紹介しています。

また、「下手な土器」が出土する遺跡から、焼けていない粘土がこびりついた「器台」が出土することもあります。焼けていない粘土がこびりついているので、それらは土器作りの台に使ったと考えられます。このことも含めて、土器製作をする集落で未習熟な年齢層が作った土器が「下手な土器」であるのではないか、とまとめています。もう少し大胆に言うなら、縄文時代の子育ての一面がこれら「下手な土器」に反映されているのかもしれないと思います。

器台(土器作りの台に使ったもの)の画像

焼けていない粘土が表面にこびりついている「器台」。右の「器台」は大形の土器の割れた底部を再利用しています。土器作りの台として使ったと思われます。

日常生活を送りながら、そのような技術の伝承をしっかりやって豪壮な土器が作られたとすると、それなりに長生きの人がそれなりにいたのではないかと思いたくなります。

これらの「下手な土器」は常設で展示しています。小さいサイズでも非常に精巧につくられた土器もあわせて展示していますので、その違いを見ていただければと思います。

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