ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

縄文人がみていた?“あかり”

釣手土器ってなに?

一般的な土器と比べて変わった形をしている釣手土器。釣手土器は全国どこにでもあったものではなく、長野県や山梨県など限られた場所で作られ、今から5500年前くらいから4500年前くらいまで(縄文時代中期という時代に)、約1000年の間だけ使われた土器です。(暦年較正年代で表記しています。これは、茅野市の他の刊行物やホームページと異なる年代観となります。)

この土器は、縄文時代にあかりとして使われていたと考えられています。あかりと聞くと、竪穴住居1棟につき1つはあるような日常的に使われていたイメージを持つ方もいるかもしれません。日常的に使われていたとすれば1つの遺跡から大量に発見されてもおかしくありませんが、釣手土器は限られた遺跡から数える程度しか出土していません。つまり、縄文人が日常的に使用していたあかりというよりかは、限られた場所で、限られたときにだけ使われていた特別な土器と言えます。

中ッ原遺跡釣手土器

中ッ原遺跡出土(長野県宝)

限られたときってどんなとき?

釣手土器の出土数の少なさから、生活のなかで使うというよりは特別なマツリの日にだけ使っていたことが考えられます。

縄文人のマツリとはどんなマツリなのでしょうか。現代に生きる私たちと同じように、いつもよりおしゃれをしたり、音楽を奏でたりして楽しんでいた可能性もありますが、1番の目的は植物が良く育ちますように、家族が健康で長生きできますように、そういった縄文人たちの願いを村全体で神様に祈ることだったのではと考えられています。そういったマツリのときのランプとして釣手土器は使用されていたようです。

火を灯すために使ったもの

火を灯す道具として1番簡単なものはろうそくです。しかし縄文時代にろうそくはありません。そうすると油を使ったことが考えられます。油は大きく分けて3つの種類があります。石油などの鉱物系、エゴマなどの植物性、肉、魚などの動物性。おそらく縄文時代は植物性と動物性の油を使っていたのではないかと推察されます。

植物性の油は、木の実のような炭水化物の多く含まれるものを燃やして油を抽出していた可能性が高いです。

では、動物性の油はどのようにとっていたのでしょうか?実際に、縄文土器に魚の脂肪分が残っていた事例があり、土器で魚を煮ることで魚の油をとっていたのではと考えられます。また、肉も同じようにして油をとっていた可能性があります。

どうやって火を灯していたの?

入手した油を使って縄文人はどのように火を灯していたのか、2つの方法が考えられます。

1つ目は、あらかじめ釣手土器の中に油を入れておいて、火おこしをしてついた火を、燈芯を使ってランプの中の油に火をつける方法。

2つ目は、あらかじめ釣手土器の中に油を入れておいて、炉から火をもらってきて火を灯す方法。

縄文時代は家の中や外に炉がありました。そこでずっと火を焚いて、寒さをしのいだり料理をするために使ったりしていたので、その炉の火を利用していた可能性も考えられます。

与助尾根遺跡住居址

釣手土器の装飾のひみつ

釣手土器には飾りがついているものや、様々な形の穴が開けられているものなど沢山ありますが、その釣手土器に火が灯ることで、夜になると、釣手土器の飾りが影として浮かび上がってとても綺麗だったんじゃないかと考える研究者もいます。釣手土器は、一般的な深鉢形土器と比べて底が浅めに作られているものが多く、このような形だからこそきれいな影ができたとも考えられます。そういった影を縄文人たちは楽しんでいたのかもしれません。

 聖石遺跡釣手土器正面 聖石遺跡釣手土器背面

こちらは聖石遺跡から出土した釣手土器です。正面から見たときと背面から見たときとで全く印象が違います。欠損部分もありますが、おそらく背面に2つの穴があり、暗闇の中で釣手土器に火を灯した際に、こうした穴が幻想的な影を作っていたことが想像できます。

博物館でみる釣手土器

博物館で見る釣手土器はあかりが灯っていない状態のことがほとんどです。

釣手土器展示風景

尖石縄文考古館でも写真のように常設展示をおこなっています。しかし、縄文人が釣手土器をどのように使っていたのか、釣手土器にあかりが灯るとどんなイメージなのか、なかなか想像ができません。そこで、11月6日(日曜日)まで開催中の「諏訪湖・八ヶ岳 星降る縄文インスタキャンペーンスタンプラリー」では、釣手土器にあかりを灯して展示をおこなっています。(展示土器はレプリカです。)

あかりが灯った釣手土器展示風景

この土器は藤内遺跡から出土した釣手土器で、背面に丸や三角など沢山の穴が開けられており、あかりを灯すことで幻想的な影が特に浮かび上がります。この写真は閉館後の暗い考古館で撮影しているため普段の様子とは少し異なりますが、釣手土器から漏れるあかりの美しさは、昼間の明るい考古館で見たときも健在です。

縄文人たちも、もしかしたらこんなあかりをみていたのかもしれません。

茅野市内から出土した釣手土器

茅野市内の縄文遺跡から、現在復元されている釣手土器は13遺跡19個で形も様々です。聖石遺跡からは4つの釣手土器が出土し、茅野市内でも最大の出土数を誇っています。

茅野市内の縄文遺跡から出土した釣手土器
出土遺跡 釣手土器画像
聖石遺跡 聖石遺跡出土釣手土器画像
聖石遺跡 聖石遺跡釣手土器2
藤塚遺跡 藤塚遺跡釣手土器
長峯遺跡 長峯遺跡釣手土器
与助尾根遺跡 与助尾根遺跡釣手土器

おまけ

9月17日(土曜日)に4年振りとなるナイトミュージアムを開催しました。当日は真っ暗な展示室の中に、明かりを灯した釣手土器のレプリカを配置しました。暗闇に光る釣手土器のあかりと、そのあかりに照らされた縄文土器を見ていると、遥か昔に生きた縄文人の気持ちに近づけたような気がしました。

ナイトミュージアム時の様子

みなさんの声を聞かせてください

このページの情報は役に立ちましたか?
このページは見つけやすかったですか?
  • 茅野市公式フェイスブック<外部リンク>
  • 茅野市公式インスタグラム<外部リンク>
  • ビーナネットChino<外部リンク>