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小津の散歩道

小津の散歩道と一本桜

小津安二郎監督と盟友・脚本家の野田高梧は、蓼科生活の一番の楽しみとして、日の何度となく蓼科の疎林を散歩しました。

その道は、野田氏の長女であり、常にお二人のそばに居た山内玲子さんへの聞き書きによって特定でき、2013年の小津安二郎生誕110年、野田高梧生誕120年の節目に、約4キロの散歩道「小津の散歩道」が整備されました。

散歩道のなかでも、「一本桜」へは仕事が行き詰った時や、東京から客人を迎えた時など、足しげく通いました。

現在はかなり大木となりましたが、往時のたたずまいと変わらぬ姿でひっそりと立っています。

目の前には、蓼科山を眺めることができます。

写真は、令和5年4月27日撮影。

小津の一本桜

小津の一本桜に咲く可憐な花

小津の一本桜 ヤマザクラ

可憐な花

小津の散歩道 ルート図

案内看板を設置しています。看板の番号は、ルート図に記載している散歩道案内板の番号と一致します。

ルート図とともに、散策の目印にしてください。

小津の散歩道 ルート図 [PDFファイル/1.51MB]

小津の散歩道 ルート図

 

小津の散歩道 看板

小津の散歩道 看板

小津の散歩道を散策される方へ(お願い)

  • 駐車場は、無藝荘の駐車場をご利用ください。
    無藝荘
    住所:茅野市北山4035-118
  • 散歩道は、土地所有者のご理解ご協力をいただき、2013年に整備しました。私有地へは立ち入らないでください。
  • 「一本桜」に設置された柵の中には、立ち入らないでください。

映画監督 小津安二郎(おづ やすじろう)

1903年東京都生まれ、1927年 時代劇で監督デビュー。

戦後は脚本家・野田高梧と組み、『晩春』、『麦秋』、『東京物語』といった名作を次々に発表。

『東京暮色』以降の作品のうち、6作品を蓼科高原で野田とともに執筆していた。

蓼科で執筆された作品

  • 1957年『東京暮色』から1958年『彼岸花』
  • 1959年『お早よう』
  • 1959年『浮草』
  • 1960年『秋日和』
  • 1961年『小早川家の秋』
  • 1962年『秋刀魚の味』

2012年、世界最古の映画協会の一つである英国映画協会発行のSight&Sound誌が1952年から10年に1度発表している、358人の映画監督が選ぶ「映画監督が選ぶベスト映画」に『東京物語』が1位に選ばれた。

小津監督が名作を書き上げた仕事場 「無藝荘」

日本映画界の巨匠、小津安二郎監督は、昭和29年夏、コンビを組むシナリオライターの野田高梧の蓼科の山荘「雲呼荘」を初めて訪れました。

小津監督は蓼科の自然、人情、美味いし酒がすっかり気に入り、蓼科の仕事場「無藝荘<外部リンク>」(むげいそう)で多くの名作を書き上げました。

現在「無藝荘」は、グリーン期に開館しています。

開館日や開館時間については、お問い合わせください。

【問い合わせ先】

蓼科観光協会

茅野市北山蓼科4035

電話0266-67-2222

無藝荘

小津安二郎記念・蓼科高原映画祭

映画祭ロゴマーク

1998年、多くの方々に「小津映画・小津のこころ」に触れていただくとともに、映画を通して文化・人的交流が図られ、映画・映画文化の発展につながることを目指した「小津安二郎記念・蓼科高原映画祭」がスタートしました。

小津監督が一貫して描き続けた「家族」をテーマに、毎年秋に開催しています。

映画祭の詳細は、小津安二郎記念・蓼科高原映画祭ホームページ<外部リンク>をご覧ください。

【問い合わせ先】

「小津安二郎記念・蓼科高原映画祭」実行委員会事務局
茅野市 観光課内
電話0266-72-2101(内線423)

みなさんの声を聞かせてください

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