茅野の縄文ってこんなにすごい!
身近にあると貴重にも感じませんが、茅野市の縄文。実は、とてもすごいのです。
国宝土偶を自慢!
茅野市で「土偶」と聞くと、縄文のビーナスや仮面の女神くらいしか思い浮かびませんが、実は、とてもたくさんの土偶が見つかっています。
いろいろな形や大きさのものがあります。
土偶はほとんどが発見されるときには壊れていて、縄文人があえて壊したのだろうと考えられています。
どうして作ったか、何を思って壊したか。
ほんとうのところは縄文人に聞いてみないとわかりません。
実は、単なる暇つぶしで土をこねてたら何となく
実は、ただのおもちゃで、子どもがぶんぶん振り回すものだから腕がもげちゃって
なんてことがあるかもしれません。
国宝はやっぱりすごい。
全国でこれまでに約2万点が発見されている土偶。その中でも、国宝に指定されているのはたった5体。
たった5体のうちの2体が、縄文のビーナスと仮面の女神なのです。
画像に写っている小さい土偶は、とりわけ小さいものを選んできましたが、見比べてみるとどうでしょうか。
縄文のビーナスは高さ27cm。仮面の女神は少し大きくて34cm。
大きさもさることながら、完成度の高さには雲泥の差があります。丁寧に丁寧に作られ、体は磨きあげられています。
仮面の女神が国宝に指定されたとき、「土偶造形の頂点」という誉れ高い言葉をいただきました。
悠久の時を経て
しかも、どちらの土偶も、見た目が素晴らしいだけではありません。
土坑(どこう)と呼ばれる、縄文人が掘った穴の中に丁重に埋められていたことが、発掘調査でわかっています。
そこからは、土偶がただのおもちゃという以上に、縄文人の何らかの願いや想いを託された、重要な意味を持ったものだったのではないかと感じ取ることができます。
仮面の女神が発見されたとき、急きょ開催した現地説明会には、約4000人もの方が集まり、この土偶を一目見ようと長蛇の列をなしていました。
縄文人が何らかの願いや想いをこめて、この土偶を作ったのだとしたら、その想いは、はるかな時を経て、今の私たちにも通じるものがあるからこそ、大勢の人が惹きつけられるのではないでしょうか。
ちなみにこれは仮面の女神と同じ中ッ原遺跡出土の土偶。
考古館ではこっそり「Qちゃん」と呼んでいます。
自力では立てません。かわいいですね。
2体の国宝土偶、縄文のビーナスと仮面の女神は茅野市尖石縄文考古館でご覧いただけます。
国特別史跡「尖石遺跡」と宮坂英弌
国の特別史跡。いわば遺跡の国宝です。
青森県の三内丸山遺跡、秋田県の大湯環状列石、千葉県の加曽利貝塚と、ここ茅野市の尖石遺跡の4つしかありません。
考古館前に広がる、ただの野原。
と思いきや、この台地の下には縄文時代の重要な遺跡が、後世に残すために大切に保存されているのです。
市民力の高いこと!
尖石遺跡は昭和27年(1952年)に、わが国ではじめての国特別史跡に指定されました。
では誰がこの遺跡を発掘したのでしょう。
考古館では、国宝の土偶より先にこの人の研究業績を紹介しています。
茅野市名誉市民の宮坂英弌(ふさかず)氏です。
彼は、もともとは考古学の専門家ではなく、小学校の教員でした。
昭和5年(1930年)から、仕事の傍ら、尖石遺跡の発掘を個人で行い、日本ではじめて縄文集落の全容を明らかにしました。
彼が発掘を行ったのは、暇つぶしのためでも、金持ちの道楽でもありません。
むしろ、戦中戦後の厳しい社会情勢下、家財を売り払って発掘資金に充てるほどの苦しい経済状況のなかでの発掘調査でした。
苦しい中でも、周囲の人の支えもあって続けられた研究結果は、戦後の縄文集落研究でこれ以上ない先行研究として、輝かしい功績を残しました。
この人がいなければ、彼を理解し、支えた家族、友人がいなければ。また、郷土の誇るべき歴史を後世に残そうと彼に共鳴した地域の人々がいなければ、茅野の縄文の価値はまったく違うものだったかもしれません。
郷土の素晴らしい人々の情熱と力を、私達も未来へと受け継いでいく。私たちもその担い手の一人です。