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「永明中学校校庭遺跡」発掘調査日記

永明中学校校庭遺跡の発掘調査の様子をお伝えします。

永明中学校校庭遺跡の発掘調査を行っています!

永明小学校・中学校建て替え事業に伴い、今年の4月から永明中学校校庭の発掘調査を行っています。
現在、校庭東側の調査が佳境に差し掛かり、遺跡の様子がだんだんと明らかになりつつあります。

ここではそんな発掘調査の様子を日記形式でお伝えしていきます。

【動画】「永明中学校校庭遺跡 発掘調査 中間報告」 はこちら

遺跡の範囲と今回の調査範囲

下の写真は、黄色の範囲が遺跡の広がり、オレンジ色が今回の調査範囲を表しています。

永明中学校校庭遺跡は茅野駅から見て北、茅野市役所から見て北西に位置します。

下の写真は、赤色が前半の調査範囲、青色は後半の調査範囲、オレンジ色は後半の調査に先立ち試掘(遺跡の様子を探る作業)をした範囲です。

発掘調査は東側の3分の2ほどの前半、残りを後半に行います。

遺跡の名称について

 永明中学校校庭遺跡の範囲は永明中学校のグラウンドを中心に、永明中学校の校舎、永明小学校の校舎と校庭の一部、ちの保育園、茅野地区コミュニティセンターまで広がっています。

 遺跡の名前はその土地につけられた名前(字名(あざな))から名付けられることが多く、耳なじみのないものになりがちです。そんな中で、永明中学校の校庭を中心に遺跡が広がるため「永明中学校校庭遺跡」というのはとても分かりやすい名前です。

 遺跡の呼び方は今まで「永明中学校校庭遺跡」と「永明中学校グラウンド遺跡」の2通りありましたが、これからは「永明中学校校庭遺跡」に統一していきます。

遺跡の内容

 永明中学校校庭遺跡は今から50年以上前(昭和45年)に永明中学校の校庭を造成時に発見されました。当時の発掘調査では弥生時代の家が2軒見つかりました。そのため、今回の調査では茅野市では珍しい弥生時代の様子を知ることができる貴重な機会だと考えています。

昭和45年の調査昭和45年の調査では弥生時代の家2軒が見つかっています。

発掘調査の記録(ダイジェスト)

4月7日(水曜日)晴れ

 桜が咲くころ、試掘調査(遺跡の様子を探る作業)を開始しました。大型の重機を使い表面の土を剥いで遺物(いぶつ)(土器や石器など)や遺構(いこう)(家の跡やお墓など)の見つかるところまで掘り下げ始めました。

重機で校庭の砂や表面の土を剥がしていきます。

写真:重機による掘削の様子

4月12日(月曜日)晴れ

 この日から遺跡の発掘を手伝ってくれる作業員さんが来てくれました。作業員さんの中には発掘歴20年以上のベテラン作業員さんもいて、発掘調査には欠かせません。

今回の調査では10人の作業員さんが来てくれています。

写真:作業員の皆さん

4月20日(火曜日)晴れ

 試掘調査最終日。試掘調査ではいくつかの弥生時代と平安時代の家の跡が見つかりました。

家の跡は家を建てるために掘った土は黄色く、家を埋める土は黒かったため、黄色い土の中にに小判型の黒い土の部分として見つかりました。

写真:弥生時代の家の跡

4月26日(火曜日)晴れ

 いよいよ本格的な発掘調査が始まります。記録を取りながら人々の生活の跡や川の跡などその土地に刻まれた痕跡をさかのぼって調べていきます。

5月11日(火曜日)曇りのち晴れ

 調査区の中ほどに谷のような落ち込みを発見しました。埋まっている土は粒の大きさごとに分かれて堆積しているところがあり、水の作用によって溜まったことが分かりました。一体、この谷はいつの時代のもので、どのようにして埋まったのかをこれから調べていきます。

5月13日(木曜日)晴れ

 谷を掘り下げていくと、弥生時代後期の土器片がたくさん見つかりました。そのほかには縄文土器と古墳時代前期の甕(かめ)のかけらが極わずかに出てきました。この谷から出てきたものの中で一番新しいのは古墳時代前期の甕なので、谷は古墳時代前期以降に埋まった可能性が高いと考えました。

縄文土器や弥生土器と比べてとても薄く作られています

写真:谷から見つかった古墳時代の甕(口の部分)

5月18日(火曜日)晴れのち曇り

 谷の底から高師(たかし)小僧(こぞう)がたくさん見つかりました。高師小僧とは水辺の植物の根の周りに鉄を含む土が集まって筒状に固まったものです。高師小僧が見つかったことで昔、この谷には水が豊富にあり、岸には茅などの水辺の植物が生えていたということが分かりました。

高師小僧は丸い筒状で鉄さびの色をしています。直径は5㎜~2㎝程で様々です。

写真:高師小僧

5月26日(水曜日)晴れ

 谷の続きから完形の高坏(たかつき)や甑(こしき)(昔の蒸し器)が見つかりました。これらの土器だけなぜバラバラにならず、まとまって見つかったのか、もしかしたらこの場所で何かお祭りをしていたのかもしれません。想像が膨らみます。

谷の岸側から高坏が横たわって見つかりました。

写真:高坏(儀式や食べ物を盛り付けるのに使う器)の出土状況

谷の底にたまった石に混じって甑が見つかりました。

写真:甑(底に穴を空けた蒸し器)の出土状況

5月28日(金曜日)晴れ

 ちの保育園のあやめ組さんが現場見学に来ました。みんな元気いっぱい、弥生土器のさわり心地はどうだったかな?

弥生土器を観察し元気に質問をしてくれました

写真:高坏や甑の出土状況を見学するちの保育園の皆さん

5月31日(月曜日)晴れ

 谷のすぐ近くで見つかっていた弥生時代の家の跡を削る流路を発見しました。水の流れた跡のようですが、一体いつの時代のものなのか、また、人が掘ったものなのかを調べていきます。

流路は蛇行しながら流れていました。

写真:流路の検出状況(白線の間が流路の跡です)

6月2日(水曜日)曇りのち晴れ

流路の土を調べていくと弥生時代の土器に混じって平安時代の器が見つかりました。どうやら弥生時代の家の壁は平安時代以降の水の流れによって上を削られてしまったようです。

6月3日(木曜日)晴れのち曇り

 東側の家が掘りあがりました。家の中から見つかる遺物は少なかったですが、逆さに置かれた壷(つぼ)が一つ見つかりました。残念ながら壷は校庭の整地に伴って下半分が削り取られているようです。

土の重さに負けて花びらのように広がって割れています。

写真:弥生時代の家から見つかった壷

6月7日(月曜日)曇りのち晴れ

 10時頃から永明中学校の生徒5名が現場見学にきてくれました。

弥生時代の家とその中から見つかった壷を間近で観察しています。

写真:弥生時代の家と壷を見学する永明中学校の生徒の皆さん

6月14日(月曜日)曇りのち雨(梅雨入り)

 今日から梅雨入りです。雨が降るたびに一旦ビニールシートをかぶせて遺跡を守り、また雨が上がったらビニールシートにたまった水を出しの繰り返しでなかなか作業が進まない時期がやってきました。雨雲レーダーが強い味方です。

一辺10mのビニールシートを協力しながら開け閉めします。

写真:ビニールシートをめくる様子

6月17日(木曜日)晴れ時々雨

 重機での掘削は今日まででひとまず終了です。今日の調査で新たに平安時代のものと考えられる家の跡を発見しました。

6月18日(金曜日)晴れのち曇り

 調査区の北側から新しく溝が見つかりました。溝は大きく弧を描くように回っていて弥生時代のお墓の周りを囲んだ溝(周溝墓(しゅうこうぼ)の溝)である可能性が考えられます。お墓の周りを取り囲むように溝が回っています。

写真:溝の検出状況

6月24日(木曜日)晴れ時々曇り・6月25日(金曜日)曇り・7月6日(火曜日)曇りのち雨

 永明小学校5年生が現場見学に訪れました。皆さん積極的で学ぼうとする姿勢が素晴らしい。

現場見学の最後の質問タイムでは積極的に手を挙げてくれました。

写真:永明小学校5年生の質問タイム

7月16日(木曜日)晴れ

 例年より短い梅雨が明けました。これから暑い夏の時期が始まります。熱中症に気を付けながら発掘作業を行っていきます。

7月20日(火曜日)晴れ

 弥生時代の家の炉を掘りました。弥生時代の炉は入り口と反対側に作られていて、この家では使わなくなった甕をリサイクルして炉を作っている様子が分かります。

調理に使わなくなった甕の底を壊し、上の部分だけを炉の中に埋めています。

写真:炉の中に埋められていた弥生土器

7月21日(水曜日)晴れ

 弥生時代の家の中から黒曜石の矢じりが見つかりました。キラキラしてとてもきれいです。

刃の部分は小さなのこぎりの歯のようにギザギザしています。

写真:弥生時代の家から見つかった矢じり

今後の発掘調査の様子も随時掲載いたします。

みなさんの声を聞かせてください

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