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「永明中学校校庭遺跡」発掘調査日記

永明中学校校庭遺跡の発掘調査の様子をお伝えします。

永明中学校校庭遺跡の発掘調査を行っています

永明小学校・中学校建て替え事業に伴い、令和3年4月から永明中学校校庭の発掘調査を行っています。
現在、調査が佳境に差し掛かり、遺跡の様子がだんだんと明らかになりつつあります。

ここではそんな発掘調査の様子を日記形式でお伝えしていきます。

【動画】「永明中学校校庭遺跡 発掘調査 中間報告」 はこちら

遺跡の範囲と今回の調査範囲

下の写真は、黄色の範囲が遺跡の広がり、オレンジ色が今回の調査範囲を表しています。

永明中学校校庭遺跡は茅野駅から見て北、茅野市役所から見て北西に位置します。

下の写真は、赤色が前半の調査範囲、青色は後半の調査範囲、オレンジ色は後半の調査に先立ち試掘(遺跡の様子を探る作業)をした範囲です。

発掘調査は東側の3分の2ほどの前半、残りを後半に行います。

遺跡の名称について

 永明中学校校庭遺跡の範囲は永明中学校のグラウンドを中心に、永明中学校の校舎、永明小学校の校舎と校庭の一部、ちの保育園、茅野地区コミュニティセンターまで広がっています。

 遺跡の名前はその土地につけられた名前(字名(あざな))から名付けられることが多く、耳なじみのないものになりがちです。そんな中で、永明中学校の校庭を中心に遺跡が広がるため「永明中学校校庭遺跡」というのはとても分かりやすい名前です。

 遺跡の呼び方は今まで「永明中学校校庭遺跡」と「永明中学校グラウンド遺跡」の2通りありましたが、これからは「永明中学校校庭遺跡」に統一していきます。

遺跡の内容

 永明中学校校庭遺跡は今から50年以上前(昭和45年)に永明中学校の校庭を造成時に発見されました。当時の発掘調査では弥生時代の家が2軒見つかりました。そのため、今回の調査では茅野市では珍しい弥生時代の様子を知ることができる貴重な機会だと考えています。

昭和45年の調査昭和45年の調査では弥生時代の家2軒が見つかっています。

発掘調査の記録(ダイジェスト)

今後の発掘調査の様子も随時掲載いたします。

11月29日(月曜日)晴れ時々曇り

 最近の冷え込みで霜柱が調査区全体を覆うようになりました。そのまま溶けてしまうと。ぐちゃぐちゃになってしまうので、みんなで霜柱を剥がすことから一日の調査が始まります。

発掘調査と同じ要領で霜柱を剥がしていきます。

写真:霜柱を剥がし様子

11月19日(金曜日)晴れ

 弥生時代の家から小さな壷とガラス製のビーズ玉が一点見つかりました。とても貴重な発見です。

小型の壷が弥生時代の家の中から見つかりました。

写真:小型の壷の出土状況

コバルトブルーのビーズ玉

写真:見つかったビーズ玉、直径は5mmほど

11月17日(水曜日)晴れ

 大きな石の埋まった平安時代の家が見つかりました。石の周りを掘って石を運び出そうと挑戦した跡がありましたが、結局は諦めてそのまま住むことにしたようです。

大きな石を取り出させず、そのままになっている平安時代の家

写真:大きな石を何とか掘り出そうとしていたようです

11月10日(水曜日)曇り時々晴れ

 平安時代の掘立柱(ほったてばしら)建物が見つかりました。

丸い穴が四角く並んでいます。

写真:丸い穴が四角く並んでいるのが掘立柱建物跡です

10月12日(火曜日)曇り時々雨

 弥生時代の家から甕(今でいうお鍋)が丸々見つかりました。土の重さでつぶれてしまっていますが、しっかりと形を保っています。

家の壁に立てかけるようにして見つかりました。

写真:弥生土器の出土状況

9月30日(木曜日)晴れのち曇り

 丸く回った周溝を掘り終えました。大きさからして弥生時代のお墓のようです。今回は中央にあったはずの埋葬施設は削り取られてしまっていて見つかりませんでしたが、この近くには他のお墓も見つかるかもしれません。

丸く溝が巡っている様子が確認できました。

写真:周溝墓の溝

9月17日(金曜日)晴れ

 谷からまとまって見つかった土器を一つ一つどのように見つかったかを地道に記録していきます。こういった記録を残すことが発掘調査の中で一番大切な作業です。

作図する姿は真剣そのもの

写真:土器の見つかった状態を記録する様子

前半調査

9月15日(水曜日)晴れ

 ドローンで調査区全体を上から取ってもらいました。前半の調査した範囲が一望できます。

弥生時代の家が小判型にいくつも見つかっている様子が一望できます。

写真:前半調査で見つかった家の跡が一望できます

9月6日(月曜日)晴れ時々雨

 5日の大雨で現場も浸水してしまいました。深いところでは1m20cm以上水につかっています。

水につかったトレンチを直視できず空を仰ぎ見る図

写真:水につかり切った調査区

メジャーを差し込むと1m30cm近く水に浸かっていることが分かります。

写真:水が1m30cm近く溜まっている様子

8月25日(水曜日)曇りのち晴れ

 平安時代の家の竈(かまど)の上から鉄製品が見つかりました。断面が円の棒状で刃物ではなさそうなことから、もしかしたら馬具の一部かもしれません。

鉄製品は長い年月が経ちさびてしまっています。

写真:平安の竈の上から見つかった鉄製品

8月19日(木曜日)曇り時々雨

 大雨で流れ込んだ水と土砂の排出作業を行いました。みんなで一列に並んでバケツリレーで水を汲みだします。

みんなでバケツリレーを行って水を捨てていきます

写真:バケツリレーの様子

8月16日(月曜日)曇りのち雨

 現場のお盆休み最終日です。前日までの豪雨で現場が水没していると連絡を受け、現場の様子を見に行きました。水かさは減り始めていましたが、一時は西側の最深部では1m5cm程水が溜まっていたようです。

水に浸かった跡が確認できました。

写真:水没の様子

お盆休み

 8月13から8月17日まで現場はお盆休みです。

7月21日(水曜日)晴れ

 弥生時代の家の中から黒曜石の矢じりが見つかりました。キラキラしてとてもきれいです。

刃の部分は小さなのこぎりの歯のようにギザギザしています。

写真:弥生時代の家から見つかった矢じり

7月20日(火曜日)晴れ

 弥生時代の家の炉を掘りました。弥生時代の炉は入り口と反対側に作られていて、この家では使わなくなった甕をリサイクルして炉を作っている様子が分かります。

調理に使わなくなった甕の底を壊し、上の部分だけを炉の中に埋めています。

写真:炉の中に埋められていた弥生土器

7月16日(木曜日)晴れ

 例年より短い梅雨が明けました。これから暑い夏の時期が始まります。熱中症に気を付けながら発掘作業を行っていきます。

6月24日(木曜日)晴れ時々曇り・6月25日(金曜日)曇り・7月6日(火曜日)曇りのち雨

 永明小学校5年生が現場見学に訪れました。皆さん積極的で学ぼうとする姿勢が素晴らしい。

現場見学の最後の質問タイムでは積極的に手を挙げてくれました。

写真:永明小学校5年生の質問タイム

6月18日(金曜日)晴れのち曇り

 調査区の北側から新しく溝が見つかりました。溝は大きく弧を描くように回っていて弥生時代のお墓の周りを囲んだ溝(周溝墓(しゅうこうぼ)の溝)である可能性が考えられます。お墓の周りを取り囲むように溝が回っています。

写真:溝の検出状況

6月17日(木曜日)晴れ時々雨

 重機での掘削は今日まででひとまず終了です。今日の調査で新たに平安時代のものと考えられる家の跡を発見しました。

6月14日(月曜日)曇りのち雨(梅雨入り)

 今日から梅雨入りです。雨が降るたびに一旦ビニールシートをかぶせて遺跡を守り、また雨が上がったらビニールシートにたまった水を出しの繰り返しでなかなか作業が進まない時期がやってきました。雨雲レーダーが強い味方です。

一辺10mのビニールシートを協力しながら開け閉めします。

写真:ビニールシートをめくる様子

6月7日(月曜日)曇りのち晴れ

 10時頃から永明中学校の生徒5名が現場見学にきてくれました。

弥生時代の家とその中から見つかった壷を間近で観察しています。

写真:弥生時代の家と壷を見学する永明中学校の生徒の皆さん

6月3日(木曜日)晴れのち曇り

 東側の家が掘りあがりました。家の中から見つかる遺物は少なかったですが、逆さに置かれた壷(つぼ)が一つ見つかりました。残念ながら壷は校庭の整地に伴って下半分が削り取られているようです。

土の重さに負けて花びらのように広がって割れています。

写真:弥生時代の家から見つかった壷

6月2日(水曜日)曇りのち晴れ

流路の土を調べていくと弥生時代の土器に混じって平安時代の器が見つかりました。どうやら弥生時代の家の壁は平安時代以降の水の流れによって上を削られてしまったようです。

5月31日(月曜日)晴れ

 谷のすぐ近くで見つかっていた弥生時代の家の跡を削る流路を発見しました。水の流れた跡のようですが、一体いつの時代のものなのか、また、人が掘ったものなのかを調べていきます。

流路は蛇行しながら流れていました。

写真:流路の検出状況(白線の間が流路の跡です)

5月28日(金曜日)晴れ

 ちの保育園のあやめ組さんが現場見学に来ました。みんな元気いっぱい、弥生土器のさわり心地はどうだったかな?

弥生土器を観察し元気に質問をしてくれました

写真:高坏や甑の出土状況を見学するちの保育園の皆さん

5月26日(水曜日)晴れ

 谷の続きから完形の高坏(たかつき)や甑(こしき)(昔の蒸し器)が見つかりました。これらの土器だけなぜバラバラにならず、まとまって見つかったのか、もしかしたらこの場所で何かお祭りをしていたのかもしれません。想像が膨らみます。

谷の岸側から高坏が横たわって見つかりました。

写真:高坏(儀式や食べ物を盛り付けるのに使う器)の出土状況

谷の底にたまった石に混じって甑が見つかりました。

写真:甑(底に穴を空けた蒸し器)の出土状況

5月18日(火曜日)晴れのち曇り

 谷の底から高師(たかし)小僧(こぞう)がたくさん見つかりました。高師小僧とは水辺の植物の根の周りに鉄を含む土が集まって筒状に固まったものです。高師小僧が見つかったことで昔、この谷には水が豊富にあり、岸には茅などの水辺の植物が生えていたということが分かりました。

高師小僧は丸い筒状で鉄さびの色をしています。直径は5㎜~2㎝程で様々です。

写真:高師小僧

5月13日(木曜日)晴れ

 谷を掘り下げていくと、弥生時代後期の土器片がたくさん見つかりました。そのほかには縄文土器と古墳時代前期の甕(かめ)のかけらが極わずかに出てきました。この谷から出てきたものの中で一番新しいのは古墳時代前期の甕なので、谷は古墳時代前期以降に埋まった可能性が高いと考えました。

縄文土器や弥生土器と比べてとても薄く作られています

写真:谷から見つかった古墳時代の甕(口の部分)

5月11日(火曜日)曇りのち晴れ

 調査区の中ほどに谷のような落ち込みを発見しました。埋まっている土は粒の大きさごとに分かれて堆積しているところがあり、水の作用によって溜まったことが分かりました。一体、この谷はいつの時代のもので、どのようにして埋まったのかをこれから調べていきます。

4月26日(火曜日)晴れ

 いよいよ本格的な発掘調査が始まります。記録を取りながら人々の生活の跡や川の跡などその土地に刻まれた痕跡をさかのぼって調べていきます。

試掘調査

4月20日(火曜日)晴れ

 試掘調査最終日。試掘調査ではいくつかの弥生時代と平安時代の家の跡が見つかりました。

家の跡は家を建てるために掘った土は黄色く、家を埋める土は黒かったため、黄色い土の中にに小判型の黒い土の部分として見つかりました。

写真:弥生時代の家の跡

4月12日(月曜日)晴れ

 この日から遺跡の発掘を手伝ってくれる作業員さんが来てくれました。作業員さんの中には発掘歴20年以上のベテラン作業員さんもいて、発掘調査には欠かせません。

今回の調査では10人の作業員さんが来てくれています。

写真:作業員の皆さん

4月7日(水曜日)晴れ

 桜が咲くころ、試掘調査(遺跡の様子を探る作業)を開始しました。大型の重機を使い表面の土を剥いで遺物(いぶつ)(土器や石器など)や遺構(いこう)(家の跡やお墓など)の見つかるところまで掘り下げ始めました。

重機で校庭の砂や表面の土を剥がしていきます。

写真:重機による掘削の様子

みなさんの声を聞かせてください

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